荒川堤の五色桜(2021/3/29)
明治期後半、荒川堤は有数の桜の名所でした。明治18年、江北村の堤防の改修工事にあたり村民の要望によって、木があまり大きくならないサトザクラ78品種、3000本が植えられたのが始まりです。江戸期までの園芸品種、ムラサキザクラ、カンザン、シロタエ、ウコン、ウスズミなど多品種をを揃え、花の色は濃紅から黄緑まで様々で五色の雲がたなびくように見えたことから、荒川堤の桜は「五色桜」と呼ばれるようになりました。
明治45年に東京市からワシントンに寄贈され、ポトマック公園に植えられた12種3000本の桜は、ここ、荒川堤の桜です。
ところが、対岸の工場煤煙で樹勢が弱ってきたこと、さらに、明治43年の大水害の対策として、北区岩淵で荒川(現隅田川)を分水して、東京湾にそそぐ大放水路(荒川放水路)の削工事が始まりました。一部を残し荒川堤が消失したため、五色桜は保存活動が続けられたものの衰退していきました。しかし、この地の貴重な桜を残すため全国各地へ分植が始まります。小石川植物園、興津園芸試験場、徳川侯爵別邸・大磯高麗園、新宿御苑、東京帝国大学農科大学など。堤防に補植した五色桜も戦後の食糧難、燃料難で残っていた桜も薪になってしまったため、昭和22年五色桜は絶滅しました。
昭和27年、五色桜を再生したいと足立区長の依頼で、ワシントンから接ぎ穂が届き、接ぎ木して植樹されました。これが1回目の里帰りです。300本が植樹されましたが、公害で再び衰えました。2回目の里帰りは、足立区制50年を記念して昭和57年に、足立区役所職員が渡米しワシントン国立樹木園の協力を得て、3000本の接ぎ穂を持ち帰り、足立区各地に植樹しました。地元で五色桜の復元活動が活性化し、法整備もされて現在も復元活動が進行中です。
①堀之内公園
:小さな公園だが、いろいろな品種の桜がありカラフルです。
福禄寿(?)
品種は不明
薄墨桜(?)
②五色桜堤
:復元中の五色桜堤
白妙(シロタエ)
一葉(イチヨウ)
荒川五色桜の碑
立派な姿の一葉
農業公園に近い並木
対岸に見える新岩淵水門
③都市農業公園
:昭和59年、足立区近代農業基地の拠点として開園
農業公園の野菜はおいしい!
くつろぎスペース
古民家傍の染井吉野
手弱女(タオヤメ)
高砂(タカサゴ)
近所で買った祐道(ユウドウ)